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西宮市・東山台・高田外科病院付属仮設診療所
阪神大震災(H7年1月17日・1995年)のとしの8月、高田上谷病院(当時の名称は高田外科病院)は、兵庫県の要請で、西宮市東山台の約400戸の仮設住宅街に、「西宮名塩仮設診療所(高田外科病院付属診療所)」を開設しました。

●↑平成7年8月のオープンめざして突貫工事の仮設診療所。

●↑「ごいっしょにがんばりましょう」の文字を貼った入口。


建物は兵庫県が提供しましたが、内部什器や医療機器、医師や看護婦や事務員などの人員はすべて、高田上谷病院(経営母胎の医療法人社団幸泉会)もち。およそ2年あまり、大赤字のなかでの運営を続けてきました。
 それでも、被災された方のことを思えば、幸せと言い聞かせながら、続けました。


暑くて・寒くて・遠くて・狭い仮設住宅・・

遠くて・暑くて・寒くて・狭い・・仮設住宅。 仮設住宅にお住いになられた方のご苦労は、押してしのぶものがあります。 が、何といっても悲惨なのが、孤独死です。 マスコミ報道でご承知の通りです。

●↑東山台3丁目上、3丁目下、4丁目、名塩新道C地区の、4ゾーンにたてられた仮設住宅。
写真は最大の3丁目仮設。

毎週土曜・ポストイン2年半・

毎週発行のミニコミ紙を購入しポストイン、火曜日・木曜日の診察日に仮設診療所担当の職員が、その状態を目視。 さらに次の土曜にポストイン宅配者が確認。
 異常あれば支援センターの職員や看護師が声掛け訪問・・という流れでした。


やれるだけ継続しよう・・

何度か挫折しそうになりましたが、お住いの方のプライバシーを傷つけることなく、さりげなく、目立つことなく、とにかく継続できました。
 仮設診療所は、閉鎖とともに真っ先に取り壊され、写真のように今は、何事もなかったような荒野となっています。



私したちは、この忘れがたいことがらのメモリアルを、大切な教訓として、とどめたいと考えています。

●↑名塩仮設診療所あと地H15年2月7日現在。コンクリート部分に、あった。
●↑掲示板やミニ農園があった4差路交差点の3丁目角、H150207現在。